<領域1 仲間とのコミュニケーション>

日ごろのコミュニケーションが大事

共同住居やグループホームに入居しているメンバーには、自分の考えが人に伝わってしまうというサトラレ(思考伝播による)という苦労がある。サトラレの状態がひどくなると、人前に出ることがとても困難になり、被災時にこの状態になっていると避難も困難になってしまうことが予想される。しかし、普段の生活のなかでは、サトラレに襲われたメンバーも共同住居の仲間たちに話かけられると、ふっと現実の世界に戻ってくることがある。仕事や生活、人生といったさまざまな次元の苦労や楽しみをともに分かち合い、体験してきた仲間たちや、そこで培われたコミュニケーションの蓄積がそれを実現させているの。甚大災害に襲われたときにも、このような日ごろのコミュニケーションを重ねていくことで、安全に避難できる可能性を向上させられる。べてるではこうした考えのもと、メンバーたちの日ごろのコミュニケーションの活性化にも力を入れている。今年度は、べてるの家の活動で見えてきた発達障がい傾向の強いメンバーへの、コミュニケーション方法、情報伝達や安全確保のノウハウについても学習した。 日ごろのコミュニケーションを大切にすることは、地域社会全体にも共通のテーマであり、精神障がいや発達障がいを持つメンバーたちが培うコミュニケーションを大切にしながらの防災事業は、地域の安全確保にもつながっていくと考えている。



<領域2 地域防災ノウハウの開発と蓄積>

避難計画の立案              

べてるの防災プロジェクトでは、災害時の命の安全の確保を最重視している。災害後の援助や復旧活動も重要だが、真っ先に命の安全を確保しなければ、その先の復旧もないという考えからだ。日本政府の中央防災会議によると、北海道に最も大きな被害をもたらすと考えられている「500年間隔地震」は、前回の発生から既に400年以上が経過しており、いつ発生しても不思議はない。その際、浦河沿岸に押し寄せると予測される津波の最も高いものは約10メートル。また、過去に浦河付近で起きた津波のうち、地震発生後に津波が沿岸に到達した最短の時間が4分だった。これらのことを踏まえ、べてるの防災プロジェクトでは、「地震発生後、4分以内に10メートル」に到達できる避難訓練を実施することとした。














4分で10m! ここまでくれば安心。



避難マニュアルの作成              

DAISY(Digital  Accessible Information System  )とは、音声とテキスト及び画像を同時に表示するデジタル録音図書のこと。DAISYは、同時に複数の感覚器官を通じて情報を提供できるため、認知に障がいのある精神障がい者などに対する有効な情報伝達手段のツールとして活用されている。

精神障がいをもつ人の防災プロジェクトの場合、災害の特徴、避難場所と避難経路など、災害への対処方法と知識を当事者自身があらかじめ知っていることが重要である。精神障がいを持つ人たちは幻聴さん、お客さん(頭の中のマイナス的な自動思考)に苦労していることが多く、話に集中できないことがある。また印刷されたテキストを読むことが苦手な人、幻聴や妄想に影響されて適切な状況理解やコミュニケーションが取りにくい人がいる。 

そこで、べてるでは、DAISYで各活動拠点・住居ごとの避難マニュアルをメンバー自身の手でつくれるように国リハ及びATDO(支援技術開発機構)の協力の下、技術移転を行い、既にメンバーの仕事としての避難マニュアル作りが始めた。メンバー自身がDAISY避難マニュアルを作成することで、自分たちの映っている写真など身近なものを使い、よりわかりやすい工夫ができている。


 











<領域3 防災訓練> 避難訓練

平成19年度の防災プロジェクトによって、国リハが提案した避難訓練の勧め方を基礎に、各共同住居、日中活動の場に応じた具体的な避難マニュアルと、避難訓練の方法が確立された。べてるの活動拠点及び住居で、海抜10メートル以下の場所にある各活動拠点・住居からの避難訓練の手順は、以下の通りである。


□ 事前の準備

①避難場所を選ぶ

避難場所の条件として、それぞれの活動拠点や住居から4分以内で辿り着け、標高10メートル以上の場所であること、かつ冬期には十分に高いところを伝って暖房のある建物に辿り着ける場所が望ましい。


②避難場所までの経路を確定する

①に基づいて、各々の活動拠点・住居から避難場所までの経路を確認し、メンバー自身が歩いて確認する。その結果をDAISY技術を用いて避難マニュアルを作成し、理解が困難なメンバーにも理解できる形で提供する。


③避難訓練では、DAISYの避難マニュアルを見て経路を確認する。

また、該当地域の自治会、商店会等への呼びかけを行い、避難訓練を契機として、地域での結びつきを強めることをめざす。


④共同住居ごとに避難に障害や病気の状態にも配慮した防災グッズを備える。


□ 手順

①その日の設定・テーマを確認する(SST方式)

②「防災みなみ体操」で体をほぐす

③地図で避難経路を確認する

④先頭・最後・車椅子を押す人・防災グッズを運ぶ人・懐中電灯やトランシーバーをもつ人など役割を確認する。

⑤合図と共に避難開始

⑥避難中はできるだけ記録をとる(ビデオ・写真)。

⑦10メートルの高さに達する時間を計り、10m地点を通過するポイントを声を掛け合いな

がら確認する。

⑧避難場所で集合し、集合写真をとる。

⑨戻って振り返りをする:よかったこと、苦労した点、もっとよくする点




国立障害者リハビリテーションセンター研究所から

河村宏(国立障害者リハビリテーションセンター研究所)              


私たちがはじめて浦河町の方と防災の勉強会をやってみませんかと話したとき、津波のときには逃げるんだと思っているひとはいませんでした。震度6の十勝沖地震が発生したとき、「避難は高台のスポーツセンターまで上がっていく」、「それは車で」とみなさん思っていたようです。べてるのレインボーハウス(海岸沿いの共同住居)に住む清水さんと話していたら、「あそこまで(逃げていくの)は自分はとても無理」と言われました。そして、車がない人は無理なんじゃないかと話していました。

そのころ、津波からの避難はスポーツセンターまで逃げるという漠然としたものしかなかったのです。浦河町は地震の多いところですが、幸いこれまで津波や土砂災害による甚大な被害を受けることはあまりありませんでした。おそらく、町の皆さんも地震・火事への対策ほど、津波被害についてどこが安全でどのようにすれば危険から逃れられるか具体的に話し合う機会がなかったのだろうと思います。津波からの避難勧告が出されたとき、防波堤の先端に行って海の状況を観察するマニュアルがあったという話や、海岸沿いにある避難所に電話をしたら避難している方がいたという話を聞きました。地元の人がまっさきに考える避難場所は海に近かったのです。

こういう避難から、べてるの家の皆さんがきめ細やかに、GHとかニューべてるからの避難をし、自分で努力すれば確実に安全を確保できる方法を見つけてきているのは、大きな意味があります。ここの違いが、実際に被害にあったとき命を守る上でとても大きいのです。

地震がきたとき避難訓練とするとばかばかしいと思うかもしれませんが、こういうときにここに逃げれば安全なんだということを皆さんが体で覚えていること、そして全員が同じ方

向へ逃げていき、こっちへいけば安全なんだと思えることは、とても安心感があります。ある人が右へ行って、ある人が左に行ってとなると、避難できなくなる状況が増えていくので

す。

いま、DAISY避難マニュアルで「ここの交差点を右に曲がります」などといっているのはとても意義があります。全員でひとつの流れになれば、避難そのものが安全になっていくか

らです。それを多くの人、地域のみんなで確認しておくのが重要でしょう。地元の人が同じ方向へ避難していれば、旅行者が来ても、一緒に逃げながら、こっちにいけば安全なんだということがわかります。地球上の陸は、地球の表面にある膜のしわにすぎないので、どんどん動いてしまいます。いつかは避難訓練で練習していることが本番になってしまいます。私たちが自分たちで練習して、できる限りやっておくと安全な状況が増えていきます。それを、それぞれの土地の人が体で覚えていれば、どこへ暮らしていても、どこへ行っても安心ですね。実は、浦河沖地震についてはまだよく調査されていない状況です。大地震の発生や津波被害への危険性は高いのかも知れませんが、まだよく分かっていません。万が一、大

地震と津波被害の危険性が高いという予測が出たときに、「だから危ないのだ」ではなく、浦河町に来る津波は一番早いものでも4分だから、「冬の真夜中、お風呂に入っているとき体を拭くのに何分かかるだろう」、「一番早くたくさん着なくても暖かくできる方法は」などといった、細かいところを実際にシュミレーションしてみて、時間を計測しておけば、「それではアルミシートをお風呂と玄関の間に置こう」という準備ができ、安全です。

こうした小さな工夫を交換したり、別のグランプリを地域全体でやってみるのも面白いでしょう。

いずれは独居の高齢の方にも声をかけて、一人ひとりがみんなでいるときでも、また一人でいるときでもどうすれば安全になるか具体的な方策を提案できるようになってくるはず

です。これは町にとっても貴重なたからになる知恵です。町の安全を高めるためのキーポイントになるのですから。

命の安全を守る活動が、その延長として復興・まちづくりにもつながっていきます。これからも、私たちは継続してみ なさんと考えていきたいと思います。